出釈迦寺(出釋迦寺)の文化財と遺跡

自然美や古くからの歴史に育まれた我拝師山(がはいしさん)の周辺には、多くの文化財や遺跡が遺されています。

奈良時代から平安初期に作られた石造層塔

禅定の鐘楼堂敷地内に据えられた、奈良時代から平安初期に作られた四国最古の二基の層塔。

瀬戸内で流通していた天霧石(あまぎりいし)の石造で基部には四面全てに異なる蓮華紋が彫られ、その一つは奈良時代には珍しい菊の文様になっています。
笠部は軒裏が傾斜し垂木が表現されるなど、木造層塔を忠実に模倣しています。

造立時期は8~10世紀と推測され、善通寺層塔や海岸寺層塔とともに四国最古の石造層塔のひとつです。

藤原時代の不動明王立像

ヒノキ製で躯幹部や両肩をはぎ合わせた寄木造の不動明王像。右手に剣、左手に羂索(縄)を持っています。
顔は彫眼で右目を上左目を下に、口は右牙を上左牙を下にした、「不動十九観」に基づく像で、整然とした頭部の巻髪、怒りを抑えた忿怒の表情、腰に巻いた裳(もすそ)の衣紋は比較的浅く流麗で丁寧に表現され、全体的に端正に収められています。

古くから奥の院の禅定に安置され、作者や由来は不明ですが、平安時代後期(12世紀)の特徴を示し、県下においても類例の無い貴重な仏像として善通寺市指定文化財に指定されています。

西行庵

当寺から西に約500メートルのところに歌人・西行ゆかりの「西行庵」があります。

西行法師は仁安2年(1167年)に来讃、崇徳上皇の御陵のある白峰を望める此の地に庵を結びました。
この「西行庵」は五岳の地に滞在し仏道修行と歌作に励んだ西行を偲んで建てられたものです。

めぐりあはむ ことの契ぞたのもしき きびしき山の誓見るにも

与謝野晶子・寛庭園

昭和6年(1931年)10月、与謝野晶子・寛(鉄幹)夫妻は講演のため善通寺を訪れました。その折に御夫妻は五岳を仰いで歌を作られました。

【与謝野晶子】讃岐路は浄土めきたり 秋の日の 五岳のおくにおつることさへ

【与謝野寛】たもとぶり 西上人も見しならん 飯野の山のわが道に立つ

出釋迦寺本堂から奥の院に向かう参道脇「与謝野晶子・寛庭園」には、御夫婦自筆の歌を刻んだ碑があり、その周りには晶子が愛した桜と寛が愛した白椿、そして御夫妻の歌にちなんだ四季折々の花々が彩りを添えてくれます。

香川県の保存木 ヒノキ

奥の院への参道を進み「柳の水」を少し越えたあたりに、ヒノキの巨木があります。幹周り3.3m、樹高23m、枝は東西に16.8m、南北に13mの威風堂々とした独立単木のヒノキで、香川県の保存木に指定されています。根元には地蔵が据えられた苔むした巨石があり、地蔵の周囲には小石が積み上げられていて、古くから信仰の対象であったことがわかります。

出釋迦寺が集めている、お遍路や、弘法大師にゆかりの品々。

唐の浜 不喰貝

(土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の唐浜駅周辺)

その昔、弘法大師がこの地を通りかかったとき、地元の者が貝を焼いていました。お大師様が、「その貝を分けてもらえないか」と頼んだところ、「これは食えない貝だ」と断ったそうです。

お大師様が去った後、その貝を食べようとすると、貝は土石になっていたといいます。その後この辺りでは、化石の貝しか取れなくなったというお話です。

ごろごろ石

(高知県東洋町野根)

伏越岬のあたりは遍路道難所のひとつで、怒涛の海岸往時の遍路たちは干潮を待ち、石の上を飛び跳ねながら通っていたそうです。

このあたりの石は、太平洋の荒波で芋のようにまあるくなってしまい、荒波を「ゴロゴロ」と転がるところから「ごろごろ石」と名付けられました。